心臓大動脈弁閉鎖不全症覚書

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8月28日
5時起床。月曜日です、そして私の手術日です。気の弱い私ですので今日の手術にもう少し「パニクル」かと思っていましたが、落ち着いた平日の朝を迎えられました。
 6時、手術前の体重を量る、74.5kgだ。今日の手術のため昨日の夜9時から禁食、飲水は250mlと決められている。朝寝おきに半分の125mlの水を飲む。
風邪も、腹痛も、体調を壊すこともなく手術日を迎えられた。
7時、妻が次男の家より来る。
8時20分、手術着に着替えて病室担当の看護師と歩いて1階の手術室に向かう。病室看護師から手術担当看護師に申し送り。8時40分、手術用ベットに寝かされる。看護師、医師の手際良い手術前準備に感心していると、麻酔をかがされて、1,2,3,4,5,、、、。
 9時半頃私の手術が始まり、11時半には終わったようだ。私の心臓を止めていた時間は約30分、輸血もせず自己血液で手術は成功した。当たり前のことだが、手術中は私は夢も見ませんし、勿論記憶もありません。私の人生から切り取られた時間です。
 「光がまぶしく、音がうるさく、暑い」そんな不快な気分でこの世に戻ってきました。多くの方がブログ等に書かれている「生きている、生還した」などと言う前向きな気持ちは無く、ただただ不快で自分の置かれている状態を把握するのに時間がかかります。
 斜め右前にある時計を見ますと7時半を指しています。「まだ9時、11時、3時?いや12時15分、なんと進むのが遅い時計だろう」とその後はその時計を追って一晩を過ごす。朝を待つ気持ちが私の中にあったので、時計は夜の時間を差きているのはわかっていたようだ。
 妻は術日の夕方6時頃に「私を見て笑った」と後になって言いますが、本人は覚えていません。

8月29日
 術後2日目。今日も集中治療室(ICU)。
朝、妻がきて会話をするのですが言葉が上手く出てきません。話そうと思って会話を始めると話すことを忘れる、頭の中が白紙状態になります。夕方には少し改善したのですが、木内医師とも、看護師とも、妻とも会話が続きません。木内医師も少し心配そうです。
 ただ自分の頭の中での「思考」はそれなりにまとまっていて、言葉に対する「反射神経が鈍くなっている」感じです。

8月30日
術後3日目。朝、妻が来る。会話がほぼ通常に戻っている、良かった。午前中に一般病棟に移動。病棟番号410号、10畳ほどの部屋にキングサイズのベット(私は集中治療室から患者用のベットで運ばれ、そのままそのベットですごしましたのでキングサイズのベットは使わないままでした)、トイレ、シャワー、テレビ付きで差額ベット代15000円。金銭的にあまり豊かとは言えない我が家です、差額ベット代は「贅沢かな」とも思ったのですが、今出せないお金ではありません。生きるか死ぬかの手術を受けるのです「まあ、良いか」です。
レントゲン、血液検査。午後100mほど歩いてみる。

 8月31日
術後4日目。痰を出そうと咳をすると少し胸が痛いが、そのほかには痛みはない。胸を切り開いて、心臓を出しての大手術をしたのだから痛みは0とは言わないが、日中は痛み止めを飲まなくても過ごせる。レントゲン、血液検査、体重73,8kg術後は点滴のため太る(むくむ)人が多いようだが、私の体重は順調に推移している。
 200m歩行。歩行訓練中、80歳を過ぎたと思われるおじいさんに「サッサッ」と追い抜かれ、手術日を聞きますと8月15日とのこと「私より2週間前か、私も頑張ろう」と納得。(その3日後に歩行訓練中に一緒になり、私の歩く速度の方が早くなっていました。看護師さんも言っていましたが「私は本当に順調な回復」をしていたようです)