心臓大動脈弁閉鎖不全症覚書

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8月25日
 5時起床。いつものようにヨーグルトを食べコーヒーを飲み、6時10分頃の電車で妻と東京のニューハートワタナベ国際病院へ。
 ニューハートワタナベ国際病院は井の頭線の浜田山駅に2014年にできた病院です。金沢大学の医学部心臓外科教授で「心臓外科のブラック・ジャック」と呼ばれる渡邊剛医師の「患者のために世界最高の医療を提供する」と言う思いで作られた新しい病院です。(詳しく知りたい方は書籍「稚拙なる者は去れ」「医者になる人に知っておいてほしいこと」参照してください)
 病院の1階は受付と手術室。2階は外来と各種検査室。3階、4階は病室。4階に集中治療室。5階は病院スタッフのための図書室等々。
 前回は荻窪経由で浜田山駅まできたが、今回は渋谷経由にした。通勤ラッシュと渋谷駅での井の頭線への乗り換えが思いの外遠く、歩くのに大変だった。
10時10分病院着、3階で入院書類にサイン。私の部屋は303号室。10畳ほどにベットとテレビ、冷蔵庫、トイレ付きで差額ベット代が1日12000円。
 私の主治医は30代中頃と思われる垂井医師、看護師は市川**さん。11時30分、レントゲン検査、頸部超音波検査、血圧脈波検査、身長(181.6cm)、体重(74.2kg)。市川看護師より病院3階についての説明。「この病院はすべて個室で(低所得者用の差額ベット代無料の個室もあり)、3階は主にこれから手術を受けられる方と、回復されて退院間近な患者さんが入院しています」とのこと。
 12時40分昼食。
午後3時より、垂井医師より心臓血管カテーテル検査についての説明。1階の手術室に市川看護師と向かう。手術ベットに寝かされる、ネットで心臓血管カテーテル検査について2−3のブログを読んでいて「痛い、大変だった」と記されていたことを思い出し少々緊張気味。手術室に流れている音楽が正味2曲弱で終わり(10分以内と思われる)、手術ベットに寝てから15分ほどで心臓血管カテーテル検査は終わった。ひょしぬけするほど簡単で、ほとんど苦痛もなく終わった。心臓の血管に異常無しとのこと。
 18時過ぎ、28日(月)に私の心臓手術の執刀医、木内**医師(40歳代後半)より当日の手術についての説明。私と妻と東京に勤める次男でお話を聞く。約1時間強にわたり丁寧な説明を受ける。私の心臓は思いの外肥大していて小切開は難しく「心臓を止めている時間が短ければ短いほど心臓への負担が軽減される」ので通常の胸骨切断方法に決まる。また私が希望していた生体弁は「生体弁は15年ほどしか持たなく再手術が必要になるため、またその再手術が1回目の手術の5倍ほどの致死率があり、私の年齢(65歳)を考えたら機械弁をお勧めします」と木内医師の助言により機械弁を選択する。納豆よさようなら。
 私が13年ほど前に1ヶ月ほど日赤に入院して結果「原因・病名不明」で退院したとき日赤の主治医より頂いた書面を木内医師にお見せすると「これは感染性心内膜炎ですね、今となっては断定できませんが。循環器内科の医者がいたらすぐ気がついたでしょうが、そのときの細菌感染が今回の大動脈弁閉鎖不全症に繋がっているようですね」。
次男がその場でネットで「感染性心内膜炎 」を調べると、確かに13年前の私の症状にそっくりです。日赤では研修医上がりの若い内科医が私の主治医になり、膠原病、皮膚科、整形外科、細菌などの専門医がサポートする体制でした。そしてそれぞれの専門医が「私が専門とする病気ではない」と離れていき、最後の残った若い内科医が「原因・病名不明」と判断を下しました。
木内**医師より1時間以上にわたる手術の説明を受け「この医者に私の命を預けよう、預けても大丈夫だ」と言う確信のようなものが私の心の中に沸き「手術に対する一抹の不安」を消し去ってくれた。部屋に帰り妻と次男に木内**医師の感想を聞くと私と同意見だった。
 妻と次男が次男の家がある武蔵小杉に帰る。
夜9時、消灯。入院の興奮と外をひっきりなしに走る車の騒音で眠れない。