口八丁手 八丁

「口八丁手 八丁」と言う言葉があります。
今は「口」(言葉)だけで世渡りをする要領の良い人間などと否定的の意味で使われるこ
ともありますが、本来は「口」(話すこと)も「手」(行動、やること)も達者な人に使
う言葉のようです。
 百姓は寡黙な人が多いです。酒を飲めば「饒舌」になる人が多いのですが。まあ、田ん
ぼや畑で農作業中に一人でブツブツ言っていたら「おかしな人」とも疑われますから。
 昔ながらの農家は「口一六丁手零丁」という人が多く、「字が書けりゃ、計算ができり
ゃ百姓なんかやんないべよ。口で百姓はできないっぺ」と笑い、黙々と田畑にはいつくば
って一生を送っていました。
 「口」の部分の農作物の販売は他人任せ、多くは農協任せ、ムラではそれが当たり前の
世界でした。そして生産物が安く買いたたかれれば、酒を飲み農協の悪口で憂さを晴らす
ことも多かったようです。
戦後、廃墟から新しく来る世界に夢を抱き、食うために農業に従事し、戦後の食料生産
を担った大正、昭和一桁生まれの百姓の多くは鬼籍に入りました。
 元気に草刈り器で草を刈り、田んぼで農機具を運転して、農作業の合間に見せた「働く
人の笑顔」がムラから消えてしまいました。
 私の同世代も会社を定年退職して、両親が守ってきた田畑を耕し始めています。ムラも
私たち戦後世代の時代です。
 私たちの世代は、企業に勤めることにより身に付いた「合理性、損得計算」が退職後の
農業の世界にもついて回り、そして鈍った身体が追い打ちをかけます。
「耕すばかりで金になんねーから」、「使いもしない畑の草刈りしても一銭にもなんめ」
と合理性の少ない百姓仕事の言い訳には事欠きません。
 耕作放棄地が増え、ムラの田畑は荒れ始めています。
 景観のために農作業をするわけでないのですが、「合理性」の名のもと農業の持つ生業
部分も経済の中に取り込まれてしまいました。
たとえば
  昔なら、1個110円 の生産費(「口」の農協に販売を依存するために、生産資材費
の多くも農協の言い値で買わされます)の農作物を150個ほど生産して(農家は生産に
特化する分多く生産できます)130円ほどで農協に出荷して、農協の手数料とスーパー
等の小売りの手数料が乗せられ、1個180円ほどで売られていました。月9万円ほどの
収入です。これに異常気象での不作、豊作貧乏等が追い打ちをかけ、農家を取り巻く環境
は厳しかったはずです。「息子に農業を継がす」それは馬鹿親のすることでした。
ところがインターネット、道の駅などと農家が直接販売することができるようになり、
「口八丁手 八丁」の世界が農家にも広がってきました。個々の農家の努力が収入に直結
する時代です。
 1個100円の生産費が掛かる農作物を毎日100個生産して200円で販売します。
月30万円ほどになります。勿論、品質が悪ければこの厳しい競争社会ではけ落とされま
す。農協も、ムラも守ってはくれません。
ここで終わっていれば「農家もそこそこ豊かになる時代に」と「めでたし、めでたし」
で終わりなのですが。
人間には当然「欲」がつきまといます。
「合理性、損得計算」の上手い戦後世代は特に欲に捕らわれやすいようです。社会経験が
浅いほど短絡的に「欲」に捕らわれるようです。1個100円の生産費を95円、90円
と下げる努力をします。ある一定以下の生産費になりますと品質が下がります。その生産
費の低下は、農作物の品質に影響を与えるかどうかの見極めはなかなか至難なことです。
農作物は芸術作品でないので自ずから限度はありますが、生産費を上げて農作物の品質向
上に努める方が農家として「大成」するようです。言うが易で、これがなかなか難しいよ
うです。
 1日に100個生産できるなら、これを120個、150個まで生産を増やして。いっ
そうのこと社員を雇ってと考えは広がります。「無理をした生産」をすると品質は下がる
物です。また社員を雇うのは農作業とはちがった才能が必要とされます。
 私事ですが
養鶏の経費で一番大きい比率を占めるのは餌代です。そして私はその餌代を今より下げる
方法をいくつか知っています。でもしません、それをしたら玉子の品質に影響が出たり(食
べてくださる方が「分かるか分からない」でなく、プロの農家として私はそんなことをし
たくないのです。そして、鶏たちの余裕もそぐことになります。鶏は人間のための機械で
はありません。共存する生き物です。
 その結果は私に直接返ってきます。また「玉子が足らない」(強気で言い切ってはいけ
ません、玉子が余ることもあります)くらいな毎日ですが、社員を雇う気はありません。
私にはそのような才能はありません。また自分に鞭を打って今より働く自信も体力もあり
ません。息子は私以上にそのような才能はありません。
自分を知り(?)、農村で生きるために農業に従事してきました。そして子供たち3人を
育て上げました。妻の力が大きいのですが。
「もう少し販売価格をあげたらまだ儲かる」「上手いネーミングで販売を増やそう」と夢
は広がります。
「口八丁手 八丁」で上手くバランスがとれていたのが、「口が10丁、12丁」とな
り手が疎かになります。結果が見えています。この頃はそのような勘違い農業者が多くな
り、農業の地力が日本全体に落ちているような気がします。農家だけではないでしょうが、
日本中の人が焦っているようです。どこに向かっているのでしょうか。
 異常気象もあると思いますが、農産物の値段のぶれ幅が大きくなっているようです。安
定して生産する力が日本の農業から失われつつあるように思えます。