心臓大動脈弁閉鎖不全症覚書

(2)
8月1日
 県都の中核病院、妻同伴。
11時予約だったが、1時間ほど待たされる。紹介していただいた心臓血管外科50歳代の女医***医者に診てもらう。Nクリニックから送られたデーターを見て「手術が必要ですね」。まだここに来るまで「手術は大丈夫」と高をくくっていた私は「え、手術ですか?」と言ってしまい、それに対して「手術をしないとこのまま5年は持ちませんよ」とはっきり言わる。
 正確な病名、手術のリスクなどの細かい説明はありません。「医者の言うことを聞けの世界」です。
「この病院では心臓手術は年間何件ほどですか?」と言う私の質問には、「うーん、60,年間あわせて60件ぐらいかな」急に歯切れが悪くなります。
 「貴方の体力で手術ができるかどうかわかりません、まず手術を前提の検査を受けてください」約15分ほどの問診でした。
その後、血液検査、尿検査をして、内科に回り薬剤によりどのように私の心臓が改善するか調べるために2週間の薬をもらう。
 病院全体が「ざわつき」看護師等の職員の私語が目立ち、緊張感が無く混沌とした世界を作り出しています。私の命を「預け、お願いする」関係は怖くて結べそうにありません。不安の一言。
Nクリニックの内科医の話を自分の都合の良いように解釈して「手術はないよ」と希望的観測でいた私ですが、外科医にも言われて完全に希望はたたれたようだ。さすがに手術を考える。家に帰り、心臓弁膜症の体験ブログや有名な病院の公式ページを見て調べます。
 便利な世の中で「何となく手術の流れ(個人差はありますが)がわかり」(とは言え、「読む」と「体験」では大きな違いはあります)病気の問題点、手術のリスクも私の心の中で整理されました。
 心臓外科医は手術数がものを言う世界のようです、一流と呼ばれるには年間100件ほどの手術経験が必要のようです。県都の中核病院の心臓手術数は年間60件ほど、5人の心臓外科医がいます。割り算をしますと一人あたり年間手術件数が十数件、ちょっと不安が募ります。

息子たちにも相談すると「セカンドオピニオン」の必要性を言われ、次男が東京にある
ニューハートワタナベ国際病院の総長である渡邊剛医師にメールで私の病状を送りますと、その夜には渡邊剛医師よりメールがあり、事務方との調整で8月15日にお伺いすることになる。

8月15日
妻同伴で東京の浜田山にあるニューハートワタナベ国際病院へ。病院で次男と合流。
ニューハートワタナベ国際病院は5階建ての2014年に開業された新しい病院だ。
総長の渡邊剛医師は若くして金沢大学の医学部教授になられ、心臓血管外科では世界的に有名な方のようだ。本も何冊か出版されている。ニューハートワタナベ国際病院は渡邊剛医師の思いに共鳴された医師たちで(多くは金沢大学医学部の医師たち)運営されている病院だ。
病院到着後、事務方と打ち合わせ。その後おきまりの「血液、レントゲン、心臓エコー」
検査。とは言え、患者(私)との対応、説明、検査によるストレスなどは、県都の中核病院とは雲泥の差だ。医者もそうだが、看護師も選ばれた人たちがプロとして自分の仕事に自負と責任を持って取り組んでいる。悪い意味で「医療の世界はこんなもの」と思っていたのが改めさせられた。
 3時頃から1時間強にわたり渡邊剛医師の問診。「若くして金沢大学の医学部教授」になられた方だから「偉そうで」「傲慢で」「自分の意見を押しつける」医師を想像していたが、私たちに媚びることはなく、私たちの意見や思いを押さえつけることもなく、真摯に私の病気について説明され、専門家として今後の経過予想をされ、それについての最善の方法を患者の私たちと共に考えてくれた。
 渡邊剛医師の問診後、私は妻に「渡邊医師に手術をしていただけたら、万が一のことがあっても私は文句は言わない」とまで話した。それほど患者目線にたち、患者に安心を与えてくれる医師だ。渡邊剛医師に出会えたことを神に感謝する。

東京から帰り、心臓弁膜症の入院日も手術日も(8月25日入院、28日手術予定)決まっても、「何か奇跡が起きないかと」心は揺れてる。
私の胸を切り開いて心臓を止めて手術をするんですから。心臓を止めるのです、不安になります。当たり前ですが私が手術をするわけでありませんので手術自体に不安はありません。「死」への不安もそんなにありません。死にまつわる諸々(天国、地獄、自分の宇宙の崩壊、家族のことなどは)「生きているうえに考える不安」であり、私が死ねば水分子と二酸化炭素と数種類の元素に戻ります。分子や元素には「不安」という意識伝達はありそうにありません。無理矢理納得します。