テストには絶対出ない! たまごの日本史
プレジデント社3月11日(金)7時30分
あまりに当たり前にそこにある。和洋中にエスニック、酒場でだって顔を合わせる。庶民には高嶺の花だったはずのキミ(と白身もね)。いつの間にか、こんなにそばにいてくれるようになった、卵の歴史を振り返ろう。

▼紀元前2世紀頃——日本に鶏がやって来た!
中国から朝鮮半島を経て伝わったという説が有力。日本最古の歴史書古事記』にも鶏が登場。天照大神が天の岩戸に隠れてしまうと、声を長く引いて鳴く鶏「常世の長鳴鳥」を鳴かせて朝が来たと思わせた。その長鳴鳥、なんと現在も飼育されている。尾羽の長い黒色の日本鶏「黒柏」とされ、天然記念物に指定。

▼676年——日本初の肉食禁止
仏教を厚く保護した天武天皇により、農耕期間に限って牛、馬、猿、犬、鶏の肉食が禁止される。そこには卵も含まれていたという。その後何度も肉食禁止令が 発布されているのを鑑みると、一朝一夕で肉食の習慣は改まらなかったよう。庶民は「鶏は大事な時告鳥」と称して飼育し、きじ肉と偽って食べていたという。

▼1100年頃——これが養鶏産業の元祖か!?
鎌倉中期から後期の軍記物語『源平盛衰記』に、こんな記述が。「京都の七条修理太夫信孝が白鶏を1000羽飼育し、後に4500羽に増えて、付近の稲田を荒らした」。早くも平安時代頃に養鶏産業の起こりの気配あり。

1800年頃——江戸時代、卵売りが登場
一般的に卵を食べるようになったものの、庶民にはまだ高価な栄養食。それでも町中には、天秤棒を担いで売り歩く卵売りが現れ出す。病人食として珍重される一方、「精のつく食べ物」としても重宝され、盛り場にはゆで卵売りが出現。特に花街の吉原では、血気盛んな男たちの人気を集めた。

1920年頃〜1950年頃——外国から種鶏の輸入が始まる
養鶏界もまさに文明開化。明治維新以後、今では一般的な白羽に赤いトサカの鶏、レグホン種が登場。ほか、アメリカ原産で卵肉兼用種の横斑プリマスロック種、赤褐色の身体堅強なロードアイランドレッド種などが輸入、品種の改良が行なわれ、卵用鶏の産卵能力が大幅にアップ。卵を得るために農家の庭先で鶏が飼われ始め、小規模の養鶏農家が増える。

▼1955年頃——家庭に卵が常備
従来の平飼い方式からケージ飼い方式へと、飼育方法の革命が起こる。鶏病の予防、飼育密度のアップなど劇的な改善で生産性がグンと向上! 配合飼料の改善によって餌の輸送が容易になり、郊外で大規模な養鶏場を展開できるようになった。

▼1975年頃——流通の救世主、GPセンターの完成
GPセンターとはグレーディング・アンド・パッキングセンターの略で、鶏卵の格付け(選別)包装をする施設。パック詰め、箱詰め、割卵や凍結液卵製造などに対応し、流通の実質的中心となり、スーパーマーケットをはじめとする卵販売の拡大につながった。

▼1998年〜現在——価格競争が熾烈化
養鶏農家による飼育方法の地道な改善、尽力により卵の生産が順調になった。すると、今度は低価格化が求められるように。差別化のニーズから「ブランド卵」も続々登場。ブランド卵とは、ヨードやビタミンを強化した「特殊卵」、あるいは鶏の飼育の仕方や飼料を差別化したものなどのことで、現在ではその数、1000種以上ともいわれる。

■卵の食べられ方の変遷

▼1300年頃
肉は食用に、鶏卵は食材や薬として利用されていた。古来、鶏は神聖な動物と見られていたが、室町時代になると、愛玩用の鶏が産んだ無精卵が孵化しないことから、「卵は生き物ではない」という考え方が広まり、卵を食べる抵抗感が薄れてきたという説がある。

▼1648年
江戸の料亭「扇屋」(東京・王子)が創業。折詰の厚焼き卵が評判を呼ぶ。江戸の町では卵料理が流行する。なかでも、1643年刊行の『料理物語』に出ている「玉子ふわふわ」が人気に。その内容は、煮立てただし汁に、よくといた卵を落として蓋をし、ふわっと膨らんだら出来上がり。

1800年
55人(!)もの子宝に恵まれたという、第11代将軍の徳川家斉。“秘伝の妙薬”と伝わる「卵の精」を飲んだおかげとも聞く。その正体とは、現在「卵油」といわれるもので、卵の黄身を長時間炒り上げて少量のみとれるエキスであった。

▼1870年
神戸、横浜、東京などで牛鍋(すき焼き)専門店の開業が相次ぐ。明治期の世相を聞き書きした『明治百話』には、牛鍋店の客が、女将に卵を所望する場面が出てくる。この頃には、牛肉を溶き卵にくぐらせる食べ方があったと推測される。

1920年頃〜
“究極の栄養ドリンク”的な存在として、生卵が庶民に広がる。庭先での放し飼いの養鶏が増え、病人食や虚弱体質の人の栄養補給として、新鮮な生卵を食べることができるようになった。

▼1955年
国策による「栄養改善運動」のため、卵、牛乳、乳製品など動物性タンパク質と油脂類の摂取を大幅に増やし、欧米化した食生活が進むように。

▼1960年
「巨人・大鵬・卵焼き」と謳われ、卵焼きが子供の大好きなものベスト3に。すぐ手の届く食材であり、うれしいおかずの定番であった。「卵を食べていれば健康になれる」という考えが普及し、卵酒、ゆで卵、温泉地名物の温泉卵などが一般的に。

▼1966年
1899年に誕生した牛丼の「吉野家」が、卵の販売を始める。生卵をかけ、牛丼をかっ込む働きマンたちの姿は、当時の「モーレツ社員」の象徴に。

▼1976年
独自の飼料や飼育方法などを用いて生産された特殊卵が人気を博す。この年、ミネラルの一種、ヨードを配合した「ヨード卵・光」が発売。卵がすでに安価となっていた当時、6個入り300円という高価格はむしろ衝撃を与え、健康志向の時代に先駆けた食品として注目を集めた。

▼1979年
マクドナルド」のメニューに、エッグマックマフィンが登場。その後も卵を用いたメニューが登場するが、時に国内の卵の在庫量が僅少になるほどの影響力があった。

▼2006年頃
たまごかけごはん、「TKG」ブームの到来。専門店が登場し、2000年頃からじわじわ登場し始めた専用醤油も生産が追いつかないほど。町おこしにもとり入れられるほどブレイク。

参考文献:『タマゴのソムリエハンドブック』(社団法人日本卵業協会)
(文・沼由美子)