経験と行動

個人差はありますが、養鶏も長く経験しますと「経験の引き出し」に養鶏の知識がそれなりにたまります。この知識が養鶏家の財産です。
 とは言え現代の養鶏は専門、分業化が進み「雛を育てる育雛業者、卵を産ませて販売する採卵業者、栄養価やコストを考え鶏の餌を造る飼料製造業者、病気などを判断して適切な投薬を指示する獣医師」などに分かれています。また、それぞれの会社の中でも細分化され、専門化が進んでいると思われます。私の養鶏の知識なんて過去のゴミほどの役にも立たないと思います。
 「今どき雛から育てて、鶏の栄養をそれなりに理解して飼料を自分で作り、企業養鶏に遜色なく卵を産ませるなんてすごいですね」等とおせいじ8割程を含み、感心されることが有ります。
 仕事の専門化は、効率化、知識、情報の深化が進み、それらをネットワークで繋ぐことにより、全体をより効率化させ、利益を生み、私達の生活の幸せに繋がります。
 「私達の生活の幸せに繋がります」はずの専門化も、それぞれの部門(会社)での利益の最大化(企業としては当たり前の行動です)を求めることにより、不利益部分は物を言わない環境や鶏、知識の少ない消費者に押しつけられることが多いのも現実です。鶏が身動きできないほど狭いケージ飼育、鶏の共食い飼料(肉骨粉)、太陽の光を一生浴びることのないウインドレス鶏舎、鶏の大量飼育による大量の鶏糞と悪臭で、公害と言われて山奥に追いやられる養鶏場、、、。
 養鶏業の専門化による効率化は、私達の利益と地域環境、鶏の飼育環境とのバランスの上で成り立つべきだと思います。これらのバランスを利益を求める養鶏企業に求めるのは無理があると思います。地域環境も、鶏も物は言えません。卵を食べる消費者が「効率化による利益」のバランスを強く意識されることを求めます。
 「経験と行動」は上記の様なことを言うために書き始めたのではありませんでした、猛暑で話が脱線しています。
暑い夏に対する養鶏の「経験の引き出し」の知識が増えたが、その知識と、猛暑に対処するときの私の希望的な感情(要するに明日は良くなるだろう、涼しくなるだろう)により現実とのずれが生じて、毎年のように反省点を残してしまうことについて書き始めたのですが。まあ良いか、暑いから。