最近の農家と農作物(2)

「ムラと農家の関係も変わっていく」と共に、農産物の流通も大きく変わりました。 ネットの時代以前は、それなりに農業の現場を知っている仲買人や、スーパーのバイヤー、農協を通して農作物は流通していました。そのことによる弊害も多かったのですが、 農作物の品質と、価格にはそれなりの比例関係が維持されていました。
 それがネットの時代になり、個人の才覚で農作物が売れるようになり変化が出ているようです。消費者から遠隔地で頑張っている農家も、品質の良い農作を作る農家も、ネットを使い消費者と直に商品の売買が出来るようになり、努力が素直に評価される一面がある一方、農作物の評価基準をもたない消費者に「安全、自然、特別」の言葉をごてごてと塗って、いかにも高貴な方が食べる物のような名前を付けてネットで売っている農作物も多々あるようです。
 「品質が良い物は売れる」と言う当たり前の鉄則により、ネットで常時幅広くの人達に過激な宣伝で販売されている農作物には問題の多い物がありそうです。(そうです、農作物は工業製品のように売れるからと言って三交代勤務にしてもすぐに増産は出来ません。お天道様とそれなりの時間が必要です)
 私の専門の卵ですと、ネットの世界では品質にあった価格を付けている思われるのは2割ほどで、残りの8割は品質と価格に乖離(勿論卵の品質に比べて価格が高いという意味ですが)が見られます。
恥知らずなほど面白可笑しく、過激な宣伝が横行しています。そして農業の現場を知らない「マスコミ」の方々が、面白可笑い農業に飛びつき、より農業の現状を悪くしています。(勿論、真面目なマスコミも多々ありますが、忙しいのか農業の現場を丁寧に取材する方が少なくなっているようです。面白い、目立つがキイワードのようです)
 新しく農業を始めた人ほど『百姓』と言う言葉を使うようです。別に個人のかってですが、『百姓』(ひゃくせい)は支配者階級を除くその他諸々の民を表し、その中に農民が含まれます。
 この頃では農民の中で旧来の農法を大切にしようと思っている人達を『百姓』と特別に呼び、従来の農家と差別化をしています。(ここはかんじんです。旧来の農法が身に付いているのではなく、現代の文明に反発して漠然と『百姓』と言う言葉に憧れ、焦がれている人が多いようです。少なくとも農家と呼ばれる人達の方が『百姓』と自分のことを呼びたがる新農家より旧来の農法、生活を大切にして、身につけています)
 ここでも「全ては宣伝、名前から」と言う新農家が増えているのが気になります。