農法

有機、自然、アイガモ、EM、永田、炭素循環、、、数え切れないほどの農法が日本にあります。(並べた順番は特に意味はありません)
農法、すなわち農業のやり方ですから農業を取り巻く自然、地域環境の中で、篤農家の努力でより良い農法が確立されることは自然な流れだと思います。しかし多くの農法は「時間による審判」に耐えきれなくなり、時の経過とともに記憶の彼方へ消えていくのも偽らざる現実だと思います。
 一人の篤農家の努力が雑誌やテレビなどで取り上げられ、それらを見た作物を作らない人達から努力すると誰でもたどりつける農業技術のように錯覚され、その技術にたどり着けない(着かない)農家は努力が足らず無能のように判断されることがあります。
自然農法でリンゴを作る青森のK氏、K氏が見えるという曼荼羅の光が誰でも見えるわけがないように、彼の技術(?)に誰でもがたどりつけるものではありません。努力や才能とちょっと違った世界の話のようです。
 このような奇跡的な農法が雑誌やテレビで取り上げられ、自然から、作物から、土からの教えから遠い世界に住む人達(作物を作らない人達)が自然農法をやる人が一番偉く、次は有機農業などと農家を序列化して考え、在来の農法で作物を作る多くの農家(要するに少々の金肥に必要最低限の農薬を使う人達)を無能のように批判します。
 作物を作らない人達からの批判は「知らないから」と受け流すことができますが、新規就農者がネットや雑誌から得た情報に振り回され、右往左往する姿は鬱陶しい限りです。 ネットで情報を調べる暇があったら、土に、作物に聞けです。「特別な農法、奇跡的な農法」を求めて新規就農した彼らの多くは農業から足を洗うか、家庭教師など他の産業で収入を確保して、農地の上で右往左往し続けることが多いです。
自然農法や有機農業で作物を作っている多くの農家は質素に耐え、朝早くから夜遅くまで土や作物と葛藤して、少しでも良い作物、良い環境を作るために努力しています。
 しかし自然農法をうたいながら農薬をまく農家、新興宗教のように「自然農法の作物を食べればアトピーや癌がすべて治る」と豪語する農家がいるのも事実です。
畑の草を燃やしその灰を田に返し、田の草の灰は畑に返し、堆肥を作り、少々の金肥と農薬を使い、黙々と農作業をこなす農家もいます。人それぞれです。農法で農家を差別しないでください。