有機(実践)農家と健康

最近では多くの人達が有機農産物を購入するようになり、日本の有機農業も市民権を得て多くの人達に認知されるようになりました。このような有機農業の広がりと共に有機農家が経済的に安定すれば良いのですが、有機農業の実践10−20年以上の中堅有機農家の収入は新卒サラリーマンと同程度か、それ以下と言うのが日本の現状のようです。
 食べ物を生産する有機農家の生活支出費はサラリーマンとの違いがあり一概に比較できませんが、退職金、年金(国民年金ですが、加入していない人も多いです)などからの収入は殆ど当てにならず、老後の生活に不安が残る有機農業は経済的に恵まれた職業とは言えません。
 有機農家もお金(収入)に頓着する人は少なく、清貧を良しとする風潮があります。このような清貧を求める行動が行き過ぎますと、有機農業を他の農法より優れた農法と特別視して神聖化をして自分自身の行動をがんじがらめに縛り付け、自然に翻弄され、足らない収入を家庭教師などの他産業からの収入で補いうようになります。百姓は諸々の民、多くの事を生業とする民とも言われます。その事から考えますと、農作物生産以外から収入を得る事を何ら批判は致しませんが、農業以外の収入に頼りつつ在来の農法を批判する無神経さは、滑稽以外の何者でもありません。
 私は直接、間接的に多くの有機農業の実践者との交わりがあり、その多くは新規就農者です。その人達も40−50歳になり、身体の不調を訴える人達が多いです。
 このムラの80歳過ぎの人達が今でも農機具を使い、田に入り草をひき、草刈り機で畦草を刈り、集めて燃やし灰にして、朝早くから日暮れまで元気に働いています。農作業は小学校の前半の小さいときから身体で覚える仕事のようです。農業は頭で考えはじめる前に足腰を鍛え、農作業の力の配分を覚え、農作業の流れを身体に染み込ませ身体に覚え込ませる仕事のようです。20歳過ぎてからの新米百姓は身体の前に頭が動き、農作業の動きに無駄と無理がうまれます。その無駄と無理が少しずつ蓄積され、農家歴10−20年と重ねるに連れて身体の不調として現れるようです。
有機農家として、消費者の健康を守り、地域の環境を考え、地球の環境まで思いを馳せて、そして自分たちの身体をこわす。笑い事でない「喜劇」に近い話の多いこの頃です。