鶏を喰らう

 日本の家庭ではこんがりときつね色に焼かれた鶏のもも肉や丸焼きがクリスマスイブの食卓に上り、正月の雑煮に鶏肉が使われ、最近はフライドチキンも正月料理の仲間入りして、鶏肉が食卓を飾ることの多い年末年始です。
 師走は忙しい「にわとり屋」ですが、昔は「命をいただく」ことに拘ったりして、時間を見つけて年末年始に我が家で食べる「鶏」を絞めて解体して、家族で「我が家の鶏」を食べていました。(過去完了)
 鶏を絞めるために駄鶏(卵を産まなくなった鶏)を見つけ、とは言えガリガリに痩せた鶏や病鶏ではいけません。丸々と肥っているが卵の産みの悪くなった、おばあちゃん鶏が選ばれます。雄鶏は肉の線維がしっかりしているために長時間煮込むチャーシューや、鶏肉でんぶには向いていますが、通常は雌に比べて肉は固いために避けます。
 鶏舎から駄鶏を捕まえ、包丁を研ぎながら鶏を殺す行為の少々のうっとうしさと、獲物を仕留め喰らった「遙か昔の狩猟時代」の遺伝子の高鳴りで意識が混沌として来る私の心を落ち着かせます。 
 鶏の足を針金で縛り逆さにつるし、鶏の耳朶(じだ)の下の頸動脈をすばやく切ります。良く研がれた包丁で切りますと、痛みも少なく鶏は「切られた」ことによる痛みで暴れることもなく、今自分が置かれている状況を把握できなくてキョトンとしています。
 とは言え血は鶏の首から勢いよく流れ出て、時間の経過と共に鶏は貧血による苦しさで暴れますので、鶏の頭を「ちゃんと」抑えて放血しないと辺り一面が鶏の血で汚れます。鶏の頸動脈を上手に切り瞬時に放血を十分に行わないと鶏の体内に血がのこり、鶏の肉に血の臭いがのこる「臭い肉」になります。
 5分ほど経過後、鶏の肛門の開きで鶏の死亡を確認してお湯に浸けます。この時点では鶏はまだ「肉」ではなく「死体」です。
 お湯の温度は処理する鶏の羽数や、外気温、お湯の量により変わりますが、だいたい75度前後がよいと思います。あまりお湯の温度が高いと、タンパク質が変化して肉が茹でたようになります。外気温が低かったり、お湯の量が少なかったりしますと鶏を浸けるお湯の温後の下がりが早く、羽根が抜けにくいことになります。
 約30秒ほど鶏をお湯の中に沈め、鶏の身体全体にお湯がくまなくまわるようにします。
主尾羽(鶏のお尻の方にある大きな羽根)か主翼羽(手羽についている大きな羽根)がスムーズに抜けるようになったらOKです。鶏をお湯から取りだして台に乗せて素早く羽をむしります。(特別な台がないときは新聞紙などを広げてその上で行います)
 お湯に浸けられた鶏は一種独特の「いやな」臭いを発散します。私はこの臭いを鶏の「死臭」と呼び、お湯の熱と共に死臭が空中に発散され、鶏が死体から肉に変わります。
 この臭は私の鼻孔に記憶として長時間残り、せっかく処理した鶏の肉を食卓から遠ざける原因になります。肉処理の当日は妻と子ども達の皿に新鮮な鶏肉がのり、私の皿には豚肉がのるという、笑い話のようなことがおきます。
 直ぐその場で鶏の解体を始めますと骨と肉が離れにくいため、小一時間ほど冷水に浸けて肉を冷やします。その後鶏を冷水からあげて産毛を焼き、解体して生き物としての鶏の形をなくして完全なる肉に変えます。