ミカンの消費減

ミカンの消費が落ちているようです。
 主なる理由として「ミカンの皮を剥くのが面倒だ」と言うニュースがありました。
 「ミカンの皮を剥くのが面倒?」ちょっと私には信じられない理由です。ミカンの皮を剥くのに包丁などの道具も必要ありませんし、特別な技術を要求されるとも思えません。
 テレビのニュースで流れていた「ミカンの皮を剥くときに白い筋が爪の間にはいるのでいや。それだったらポテトチップスの方が好き」と言う意見を聞いたときは「ポテトチップスの方が油で指が汚れだろう」などと思わずテレビに話しかけてしまいました。 
そのような『お上品なお客様』に対応するために皮が剥かれたミカンも販売されているようです。
 このニュースを見ていたときは「街の人間は何を考えているのやら」とあきれていたのですが、ちょっと時間が経ちますと「皮を剥く手間や、白い筋等々の煩わしさを乗り越えてまで食べたいと思う美味しさがこの頃のミカンには無いのでは」とニュースが違った視点から見えてきました。
 食べ物は生命に関わり、若干他の産業とは違うかも知れませんが「人を幸せに出来ない産業(食べ物)は衰退する」ようです。
 我が家はミカンを始め柑橘類は、二十数年間有機栽培で育てている友人の伊東の長田さんから購入して食べています。「甘くて美味しく、食後に味が口に残らない」ミカンの味を「当たり前」と思っています。
 たまにですが、外で市販のミカンを食べますと美味しくありません。「ミカン?」と疑いたくなるほど味の無い物もあります。このようなことはミカンだけに限ったことではありません。
 今の季節のリンゴもキウイフルーツも、そして殆どの果物にも言えることのようです。目隠しして食べたらなんの野菜か分からないような味の野菜も増えています。野菜の味を楽しむ野菜サラダでなく、ドレッシングの味を競う野菜サラダが当たり前になりつつあります。
 街の人間の我が儘を笑う前に、私達農家の「体たらく」を反省する必要があるようです。
 「息子が会社に就職しての、俺たち夫婦の稼ぎより良い金もらってくるわ」「汗水流して這い蹲っている百姓より、遊んでいる勤め人の年金の方が良い金もらえるぺ」「字が書けたら、計算が出来たら百姓何かやらんべ」。現金だけで言いますと、生活保護費以下という収入の農家は農村にはゴロゴロいます。
 農業収入の悪さが農業技術、農業への意欲の減退に繋がり、土が痛み、作物が病み、消費者に不信感を産み、農家の収入減に繋がる。日本の農業は悪循環に陥っています。
 この悪循環から抜け出そうと、より安直に作物を作ったり、広告や「変わった」ことに農業の活路を見いだそうとする農家も多いようです。
 蛇足ですが、私の基準で計りますとネットで売られている卵の8−9割は消費者に幸せをもたらさない品物のようです。
 かすかな光明は、一部の意欲的な農家が農業技術の継承、土作りと言う農業の基本から取り組み、格闘して次の世代に繋げようとしています。