鶏の知能(1)

 身体の大きさに比べて頭は小さいためか、人間の世界では鶏は「お利口」と言うイメージは少ないようです。「鶏は三歩歩けば忘れる」などとひどい言われ方をされて、鶏は知能(記憶力)の悪い代名詞のようになっています。
 「自分で産んだ卵(子孫です)は食べる」、「飲み水の水槽や餌箱の中に糞をたれる」、「仲間を集団で虐めて殺す」と、私も時々「鶏のお馬鹿」に呆れたり、苛ついたりする事がありますが、毎日鶏と接している私には「鶏は三歩歩けば忘れる」は、ちょっと言い過ぎのような気がします。はい、にわとり屋の私は鶏の見方です。
 鶏舎の戸を開けて、鶏を散歩に出す事があります。
 鶏は年齢により鶏の強弱に違いがあり(若い鶏の方が弱いです)、年齢の違う鶏を同じときに散歩に出しますと喧嘩や虐めになりますので、散歩に出すときは同年齢の鶏(だいたい二部屋です)を一度に出します。
散歩に出た鶏たちは喜び、「誰から教えられたのか」身体に毒な草花には見向きもせず、大好きな草だけをついばみ、虫や小石を探して土や腐葉土を足で蹴り掘り、砂浴びをして、好きな仲間と一時を過ごし、幸せを当たり前のように楽しみます。 
 金網で仕切られていた隣の部屋のロミオ(雄鶏)は、恋いこがれていたジュリエット(雌鶏)に愛を囁きますが(要するに「新鮮な異性には非日常的な努力ができる」と言う雄のさがとも言えますが)、身持ちの堅いジュリエット(雌鶏)にはロミオ(雄鶏)の思いは届かず、焦ったロミオ(雄鶏)は実力行使に出る事もありますが、他の雄にじゃまされたり、逃げられたりで「鶏のつかの間の愛(不倫)」は成就しません。
探求心の旺盛な鶏は100m以上も遠くまで散歩に出掛けますが、日暮れと共に仲間の鳴き声を頼りに自分の部屋に帰り着きます。
 鶏が部屋を間違えて隣の部屋に入れば、鶏の羽数に違いがでますし、新たな侵入者との争いで部屋の安定が崩れて姦しくなります。二部屋の鶏はほぼ同数に分かれて、餌を食い、今日1日特に変わった事が無かったかのように静かに夕暮れのときを過ごします。
 鶏は自分の仲間、自分の帰る部屋を覚えています。「三歩」どころか、100mも遠くまで行っても帰る道を忘れません。