我が家の畑(1)

冬に1−2度雪が降ることがありますが特別寒くも暑くもなく、近くには大きな河が流れ、「丘」と表現した方が適切かと思える小高い山の上に我が家はあります。
 ちょっと大げさに言いますと、この地域はどこを掘っても石器・縄文時代からの遺跡が発掘されます。「河」と「山」に囲まれ、狩猟採取時代人々は豊かな生活を送れた地域のようです。
 部落(ムラ)の古老に聞いた話では、この地は江戸時代の後期から大正時代までは焼き畑農地として使われていたようです。そのためか私が開墾したとき出てきた大量の土器の破片も殆どが黒く焦げていました。その後は地元特産だった赤松が植えられ、戦後は部落(ムラ)の下草刈の共有地として利用されて来ました。農家が豊かになるに連れて畑や水田は「金肥」が主流になり、下草刈は忘れられ昭和40年代後半からの松食い虫の被害で赤松が枯れ、その後は雑木林になっていました。
 開墾時には一万二千年前の鏃、大量の石器、1cm以上の厚さの土器から現代の陶器のように薄く洗練された土器の破片まで大量に出てき、近代時代まで長期にわたり人間が住んでいた由緒正しい(?)土地です。
 この土地を初めて妻と一緒に見に来たとき、私たちの目の前を珍しい黄金色の鶏が(チャボの金鈴波かと今は思っています)走り、その驚きと言葉に表せない「鶏との縁」を感じ早速土地売買の契約をして開墾を始めました。
 真夏の暑い中握り飯をほおばりながら、鎌と鋸で約1ヶ月半の時間をかけて篠藪や雑木を斬り倒しました。チェンソーなどの機械を使えば手っ取り早く開墾は出来たと思いますが、今後どんな困難にぶつかろうともくじけず農業を続ける覚悟と、雑木とはいえ命ある木を切り倒す礼儀として一本一本鋸で倒していきました。
最後に直径10cm程の雑木を3本残し、子供達が休日(まだ三人とも小学生でした)の日に鋸で一人一本ずつ切り倒し開墾を終えました。