田夫、朝は寅の時を以て田に下り、夕は戌の時を以て私に還るの状

図書館から日本の歴史、日本の現像(二)を借りてきて読みました。

日本の原像 (全集 日本の歴史 2)

日本の原像 (全集 日本の歴史 2)

この本の中に、石川県金沢市の北、加茂遺跡で出土した今から約1150年前、9世紀半ばの『牓示札』(ぼうじさつ。村に立てられた政府からの「御触書」です)の資料が掲載されていました。
その『牓示札』の中に
一、田夫、朝は寅の時を以て田に下り、夕は戌の時を以て私に還るの状。
一、田夫、意に任せて魚酒を喫(くら)ふを禁制するの状。
一、里邑(りゆう)の内にて故(ことさら)酒を喫(くら)ひ、擬逸に及ぶ百姓を禁制すべきの状。
『牓示札』にはそのほかにも百姓の日々の生活に事細かく時の政府が干渉していて、1150年ほど前からの政府と、支配される百姓の関係が見えてきて、少々考えさせられました。
「田夫、朝は寅の時を以て」は現代の時間に直しますと、朝の4時から午後の8時まで「百姓は野良仕事をせよ」との意味のようです。政府は農繁期の事でしょうが、1日16時間も農業に従事することを百姓に求めています。「酒を飲むな、遊び騒ぐな、1日16時間は農作業に勤しめ」などと、政府がわざわざ『牓示札』を出しているのを見ますと、守らない百姓が多かったのかも知れません。
さすがに現代の百姓には政府も「16時間は農作業に勤しめ」とは言いませんが、私達の親の世代迄は、『牓示札』が出された1150年前の百姓の生活と余り変わりなく「朝は朝星を仰ぎ、昼は梅干しで飯を食い、夜は夕星を仰ぐ生活」が当たり前の世界であったようです。
 朝日をガンガン浴びて目覚め、陽が落ちる前にその日の仕事を切り上げて、毎日酒を喫(くら)い、友を呼び酒宴を催すのを楽しみとする私が「百姓の端くれ」として生きていられる現代の幸せに感謝しています。この幸せが、日本の農業が生み出したので無いのが少々悲しいですが。