有機農業と無農薬栽培農業

 東電の原子力発電事故による放射能汚染により、私の近くでも農地を捨ててこの地での就農を諦めた新規就農者がいます。放射能汚染による避難勧告が出たわけでもなく、その放射能汚染度も東京、神奈川、埼玉地域と同レベルです。東電の原子力発電事故後もほぼ全ての人達が(新規就農者以外と言っても差し支えないようです)日々の生活を継続している農村での話です。赤ん坊も老人も住んでいる農村です。就農地を捨てられる人と、墓を守りその地に繋がれている人達。
 地元の人達、先輩百姓、消費者、行政、多くの人達の応援、手助けを得て「職業の選択の自由」で就農した土地です、その多くの人達の思いが詰まった就農地が電気製品の不良品のように簡単に捨てられ、交換されます。想像力の欠如と言いますか、我が儘と言いますか、百姓になりムラで生きていく基本的なことが欠落しているような気がします。
「だから新百姓は口だけで、すぐ逃げていく。所帯を持ち、家を持ち、墓を持ち、ムラから田畑を担いで逃げられないようになってやっと1人前の百姓だな。すぐ穴を割って逃げていく都会者の手助けしたらムラの笑い物だ」とムラの陰口が聞こえてきそうです。
勿論、今回の東電の原子力発電事故による放射能汚染で新規就農者が全員逃げたわけではありません。圧倒的多くの新規就農者はムラに残り、農業を継続して、地域のために仲間達と放射能汚染の風評被害に立ち向かっています。
 就農地を捨てた人と、踏ん張ってとどまった新規就農者とで何が違ったのでしょうか?
 この地での農業に見切りをつけた人に「なぜ?」と直接聞いておりませんが、就農年数?性格の違い?想像力?責任感?恐怖心?家族構成?等が影響したのでしょうか?
 微妙な違いが重なり、ムラに残った人とムラを出た人に分かれたのでしょうが、新規就農時の農業へのアプローチの違いも有るような気がしています。
 「有機農業と無農薬栽培農業」似たような言葉ですが、今回の放射能汚染のような問題が起きますと、その違いがあらわになります。
 有機農業は、輪作、緑肥、堆肥、微生物疾病制御といった手法を利用して、土壌生産効率を維持し、病気を回避する農業で、地元の風土、環境から切り離して考えることは難しいです。地元の風土、環境を良い方に維持するために、地域の人達、農作物を食べる人達との有機的な繋がりを断ち切ることは出来ません。
 無農薬栽培農業は農作物の無農薬に重点を置き、農薬を使わない農地と無農薬農作物を求める消費者との閉鎖的な空間に終始します。個人の農業から脱皮できず、地域への広がりは求めにくいです。
地元の風土、環境まで思いをはせるか、無農薬農作物を食べるで終わるかが今回の新規就農者の動きの違いにでたような気がしています。
 色々な人がいて、色々な農業へのアプローチがあって良いと思いますが、人と地域環境の中で生かされている『私』を忘れないで欲しいと思います。