新規就農者 (2)

 私の住んでいる茨城県の県北地域にも、2−30代の若者や定年帰農した新規就農が増えています。そんな新規就農した(予定している)彼らに会い、話すと面白い共通点があるのに気づかされます。
 「就農地が決まる前に農場名がある。ブログ、ホームページを立ち上げて自分の思い描く農業を都会の仲間に発信している(を予定している)、妻または彼女がいる(夫または彼氏とも言えますが)、そして殆ど農業技術や農業の体験が無い」
 身体で覚える農業技術の前に頭で考えた理想の農業があり、農業生産物の前に販売方法があり、農村の前に「消費者」と言う都会の仲間がいて、、、、。
 マスコミは「見習い」の新規就農者を農村の変革者のように取り上げて、農法の変わっている事に(農業技術の基礎が出来ていないとも言えます)拍手喝采をして、行政は荒れた農地を何とか新規就農者に押しつけようと、農業の右も左も分からない新規就農者に莫大な借金を背負わせ、消費者は自分の身体で野菜を味わう事を忘れ、言葉で、頭で「人気の」野菜を食べようとしています。
 確かに今までの農家も反省しなければならない点が沢山あります。身体を使って働くのは得意だが、知らない人と話す(営業)のが不得意で自分が作った農作物を食べる人達に理解して貰う努力がたりませんでした。部落(ムラ)でいがみ、妬み、助け合う百姓は、従順に農協に言われるままに肥料を蒔き、農薬をふり、ムラで出来た農作物は全て農協に出荷して、生産者の名前は消され、品質の良い物も悪い物も混ぜられ販売されるのが当たり前と思って来ました。個人の責任が問われにくい出荷は「これくらい、いいっぺよ」と無責任に流れ、品質を下げてしまい消費者から批判されます。消費者が不在と言いますか、食べる人の事を思いやる気持がかけていました。
 とは言え3−50年も黙々と農作物を作ってきたムラの百姓達が批判され、新規就農者より農業技術が、農作物の品質が劣るように言われる昨今の風潮には私は驚きと戸惑いを持っています。
 けして新規就農者達を批判をしているのではありません。私自身が農業体験も無く、農業への特別な思い入れも無く、1歳にもならなかった長男を連れて妻と「農業の事は都会で考えても始まらない、農村いけば何とかなるさ。考える前に飛べ」と農村、農業の「イロハ」も分からないまま飛び込んだ新規就農者ですから。
 ただ、身体で覚える農業技術の前に頭で考えた理想の農業があり、農業生産物の前に販売方法があり、農村の前に「消費者」と言う都会の仲間がいて、、、、。何と言いましょうか、新規就農者達が農業の前にある「農村」とどの様に折り合いをつけ、根を下ろしていくのか、ちょっと気になっています。