養鶏職人(2)

 他人に面と向かって自分のことを「養鶏職人」と言うのは少々恥ずかしいです。しかし「経営者」と言うには、我が家のたまご園は法人経営になっておりませし、世間で言われる「企業養鶏」とは鶏の羽数も動かすお金も桁が余りにも違いすぎます。給料を貰っているのでもありませんから「養鶏場労働者」とも言えません。「技術者」と言うほどの養鶏技術(殆どが企業養鶏の収益改善技術)もありません、勿論「養鶏の研究者」や養鶏の芸術家ではありません。
 職業地番で言いますと、村は農業、大字が「農家」「百姓」で字が「養鶏職人」と思っています。自分の職業を説明するのに通常は大字の「農家」「百姓」で事足りるのですが、知らない人に事細かく説明するために字番地の「養鶏職人」が必要になります。
 本来は「大工」「佐官」などと言うように「たまご屋」「養鶏農家」が普通なのでしょうが、拘りと言いますか、自分の仕事に対する自負と言いますか、易きに流れやすい自分を律するために勝手に「養鶏職人」と思っているわけです。自分勝手な拘りです。
 私は自分の技能を信じて少々の誇りを持ち「養鶏職人」と思い日々の鶏飼いに勤しみ、より良い卵を生産するために努力しています。このような努力は多くの人達が、それぞれの仕事場で「当たり前に」やっていることで、私が特別大声を出して叫ぶほどのことでもないですが。
 「にわとり屋が良い鶏を育てて、良い卵を生産する当たり前」が近年の養鶏業界では少しおかしくなっています。殆どの企業養鶏(小さな養鶏場も)では、自分の農場で雛を育てることが無くなり卵を産む鶏は「雛専業企業」から購入するのが当たり前になりました。 産まれたばかりの雛に母親のように接して、小学校に入る頃からは(雛では生後5−6週齢)少しずつ厳しく育て、十分に運動させ、骨格の強い雛を育て、過保護で肥満な鶏にならないように餌の栄養価に注意して雛を育てる、このように雛から育てる養鶏家は少なくなりました。「経済性、効率化」の合い言葉で、1度も雛を育てたことの無い養鶏家が増えています。
 ワクチンと薬で守り育てられた大雛は(購入後約1ヶ月で卵を産み始めます)見た目は大きく立派ですが、腸の発達も悪く環境の変化に弱い鶏です。
 その様にひ弱に育てられた鶏に、飼料会社で画一的に作られた「配合飼料」を自動で与え、水や空気に光までコンピューターで制御管理して、約10ヶ月卵を産ませて廃鶏にします。このようにシステム化された現代の企業養鶏には「養鶏職人」は必要とされず、その技芸を表す場も無いのが現実です。企業養鶏で尊ばれるのは、雛育成会社や飼料会社との価格交渉能力と、数字で管理する技術と、疑問を持たず黙々と働く労働力です。
「経済性、効率化」を合唱して、鶏たちを身動きできないほど狭く暗いケージに押し込めて、卵の栄養価や品質を下げて、借金を増やし、養鶏家としての誇りも捨てて誇大広告や詐欺まがいの方法で卵を売る。誰が幸せになったのでしょうか?