農的暮らし

 昨今「農的暮らし」と、桃源郷へ誘うような心地良い言葉をテレビや新聞などで目にします。「使い捨ての若年労働者、中高年のリストラ、過酷な営業ノルマ、過労死、ストレスによる精神的な病、自殺」と殺伐とした話題の多い都会のサラリーマンが「農的暮らし」と言う言葉にあこがれるのは分かります。
 「憧れを現実に」とサラリーマンを捨て、街を捨てて「農的暮らし」を求めて新規就農する人達も増えています。都会のサラリーマンや新規就農希望者が「農的暮らし」と憧れを込めてこの言葉を使うのは分かりますが、この頃農家まで「農的暮らし」と頻繁に使うようになりました。ちょっと私には違和感があります。
 「農的暮らし」とは、農家・農業・農耕・農作・農村・農民の生活を目標とした生きかだだと思います。「知らないから憧れる」と言ったら身も蓋も有りませんが、農家、農村の暮らしが「都会の人達が憧れる」ほど理想的な生活なら、現実の離農、農村の荒廃は起きていなかったと思います。私も30年ほど前に就農を希望して農村に来て「農業、農村の現実を知らないから憧れられる」と言われた一人です。
 「青い鳥」のお話ではないですが、「農的暮らし」に憧れている時が花かも知れません。
 「農的暮らし」を現実に始めたら、そこにあるのは「絡みつくような」農村の人間関係、百姓の一年間の努力を一瞬で砕く自然の恐怖、土日の休みもない農作業、時と共に頼りの自分の体力も衰えて来るが退職金も、年金も当てにならない老後が待っているかも知れません。「農的暮らし」とは憧れだけにして、けして実現してはいけない暮らしかも知れません。(笑)
 参考までに、百のムラが有れば百通りの人間関係があります。そのムラの人間関係が貴方に合えば楽しいムラ生活が送れます。都会のマンション生活のように「ドアを閉めたら」個人の自由が確立できると安易に考えるのは危険です。自然の恐怖は自然の恵みに繋がる醍醐味もあります。休みの無い農作業は日常の生活と農作業を混沌とさせ、毎日を「自由な日」と感じられるように貴方の意識を高めることもあります。「退職金」も無いは、一生現役で過ごせる保証かも知れません。そして百姓の職場である農地、農村、自然に抱かれて死を迎えられる幸せをつかむかも知れません。幸せはゴロゴロ農村に転がっています。
貴方がそれを見つけ、大切に育てることが農村での幸せに繋がります。