農業を息子に継がせないのも親の勤めだ

 私の尊敬する農家で、千葉に住む百姓歴40年のNさんと言う方がいます。
農家に婿に入り、勤め人だった舅名義の農地を夫婦で耕し、舅から頂いたお金が15万円。「月15万と違うぞ、年15万円だ。軽トラックの車検代が出せなくて、実家にお金を借りに行ってよ」とNさんは当時の事を思い出しながら淡々と話します。
 最近は「農家の給料制」などが農村でも当たり前になり、サラリーマン並みには給料は払えませんが、一定額を働きに応じて給料として払うようになってきました。40年前の農村は「当家の主」が全てを仕切り、必要に応じてお金などを分配していました。当時の多くの農家の現金収入は少なく、「当家の主」は家が潰れないよう采配して、次の世代に繋ぐために慎ましく生きる事を農家の本懐と考えていたようです。そして、その結果が「割が合わない」と我先に争って農業を捨てた現代の農村です。農村の「当家の主」が間違っていたのか、20世紀の消費文明が間違っていたのか、後日考えてみたい問題です。
 Nさんと奥さんは金銭的な苦しさにもめげず、少しずつ農業の規模拡大を図り水田20町歩、裏作にレタスやブロッコリー、トマトを作り、農家としての成功を収めながらも、自分たちの苦しみを息子達に味合わせたくないために農業を継がせませんでした。
 労働も、金銭的にも苦しく「割が合わない」農業を息子に継がせないのも親の勤めだと言います。40年間農業で頑張ってきたNさん夫婦の言葉は、私の心に重く沈み込みます。