休煙1年

 昨年の2月17日、原因不明の発熱で倒れて1年。と言うことは、煙草を吸わなくなって1年が過ぎました。何とか寝込まずに1年間が過ごせました。やれやれ。
 意地で言うのではありませんが、私は今でも「禁煙」している気はありません。元気に、美味しく、堂々と煙草を吸える明日までの休煙と思っています。きっと来る「明日」を信じています。
 私は「禁煙」と「休煙」では大きな違いがあると思っています。「禁煙」は煙草を禁ずるです。この言葉には強制のにおいがします。「あれほど芳しい紫煙を禁ずるとは何事か」と、私には「禁煙」と言う言葉は野暮な人間の戯言、雑音に聞こえます。
人間はそれぞれ多くのことに依存して生きています。煙草、酒、博打、薬物、性、お金、仕事、数え上げたらきりがありません。他人から見たら滑稽で、呆れるようなことに拘り、依存して、身を破滅する人もいます。
 「依存しなければ生きられない」人間は意志の弱い生き物です、特に私は。
 依存している物を取り上げられるのは、身を切られるように悲しく、その悲しみを無視して強制的に依存物を絶たれると、多くの人間は自分の精神の安定のために次に依存する物に身を預けます。そして往々に、より強い(身体に悪い)物に依存します。人間は弱い生き物です。
私は「今日は体調も悪いから煙草も休もう。その代わり、明日は好きなだけ煙草を吸う」と思い、今日まで休煙を続けています。
きっと来ると信じる明日のために、今日も休煙を続けています。