農業を捨てる (3)

 ムラの同世代と酒を飲む機会があります。彼らの多くは小さい時から家の農業を手伝い、身体で農業を覚えている世代です。
 会社などに勤めに出ていて毎日の勤めで忙しく、さすがに水田に比べて手が掛かる畑には手がまわらないですが、水田は彼らを中心に維持されています。
 このムラでも、その家庭の家族構成や所有する農地の利用の便により意見は様々ですが、比較的多くの人達の意見は「収入がサラリーマン並みに安定して入るなら、農業を継いでも良かった」と言います。
 平均5反歩の水田で、半年働き売り上げが50ー70万円しか成らない現実は(収入は赤字です。他産業からの収入で農業機械を購入して田畑を維持しているのが現実です)、民主党案の『個別農家への所得保障』で変えられるよう世界ではありません。
 ムラの人達それぞれが個人のエゴを捨てて、全ての農地をムラに住む人達のための公有の農地と考え、自然に返す農地は返し、私達のムラのために必要な農地をみんなでどの様に守り抜くかを考える時期に来ています。
 そして、農業補助金はムラがどの様に生きるかに使われるべきです。それが地域環境を維持して、都市生活者の水などの保護にも繋がると思います。
 農家は、農業補助金等と言う農水省と農協が好きな言葉から決別する時期かも知れません。
 極論ですが、アフリカなどの最貧国が日本が農作物の自由化により豊かになるなら、私は日本の農業を捨てても良いと思います。
 何十年と補助金をつぎ込んでも改善しない日本の食糧自給率を考えますと、フェアトレードで最貧国の農家に補助金を出してこの国の食料安全保障を考えた方が、経済的にも、社会正義の面でも、理にかなっているように思えます。日本の消費者が農業を完全に自由化することにより得る利益を、最貧国に輸出補助金として援助することも一考かも知れません。正義が守られるのが前提ですが。
 「車とテレビは売りたいが、農作物は買いたくない」は通りません。勿論、日本の農作物が車やテレビの犠牲に成る必要はありません。
 しかし世界の中で共に生きるなら、譲るべき物は譲るしかありません。それが農作物でよいかは議論が必要です。貧しい国の人々の前で私達日本の農家が弱者として農業補助金を受けるのは「正しい選択なのか」考える時期です。
 何度も言いますが農業は農村と切り離されません、農業を捨てた時の環境への影響も考えなくては成りません。農作物の輸出国、アメリカ合衆国も黙っていませんでしょう。
 農業を捨てた私達は、ムラの農地農業を農村生活の一部に組み入れ、農村の環境、文化として「地産地消、自給」で細々と生き残る方法を考えるのも一つの方法かと思います。