農業を捨てる (2)
私の住んでいる茨城県の県北地域は、関東平野のはずれに位置し、気候も温暖で台風などの自然災害も少ない地域です。東京にも2時間ほどで出られ、住むにはなかなか良い地域です。
「耕して天に昇る」と言われる千枚田や、日本の多くの山岳、山林地域ほど農地は狭くはありませんが、私の住む県北地域は関東平野のはずれにあり、平坦で広大な農地は少なく、土地利用型の規模拡大農業は望みにくいです。
そのような地域のためか、県南や県央地域よりいち早く離農が進み、私が就農した19年前にはもう専業農家は数えるほどで、このムラの多くの家は戦前からの百姓「じいちゃん、ばあちゃん」農業でした。その人達も平均80歳を超す年齢となり、このムラの農業は静かに眠りにつこうとしています。
ムラの水田は近代的な耕地整理はされていなく、百姓の高齢化と共に谷津の水田には手が回ら無くなり、順次山に帰り始めています。
「先祖の汗の結晶が失われる」事を考えますと、他人である私でも身が切られる思いがします。
私達は里山を自然から借りて、その時代に住む人間にとって便利なように耕して来ました。悠久の長い時間で考えますと「谷津田も、私達人間の飢えを満たすための瞬間の役目が終わり、自然に返す」で良いのかも知れません。
「右肩上がり」の人間中心の開発思考を見直し、私達人間がこの有限な地球で多くの生き物たちと共に生きることを真摯に考える「転換点」に来ているのかも知れません。
「自然に返す」は「ほったらかす」事ではありません。
先祖の汗の結晶を「ほったらかす」ではいけません。21世紀のこの時代、地球環境の悪化と共に(このように書きますと、地球が自然に悪くなっているように思えますが、今分かっている限りでは、この環境悪化は「人間が作り上げている」のです)気候変動が大きくなり、自然災害の規模も拡大しています。
国土の7割以上が山岳地帯の日本で、今後予想される豪雨などの自然災害から私達の生活を守るためにも、谷津田や里山を「ほったらかす」ことは、私達日本人の安全な生存を大きく脅かすことになります。
百姓の高齢化と共に農家は減り、農業では生活が成り立たないために新規に農業を始める人もなく、農地は荒れていきます。とは言え、私達の安全な生活のためにも谷津田や里山を「ほったらかす」ことは出来ません。
どうしたら良いのでしょうか?
ここは農業の問題ととらえるのではなく、農村の問題としてムラを挙げて考える時期に来ているようです。