農業を捨てる (1)

 この文章は、今年の夏に書いたものです。何となくブログに掲載できずに、そのままになっていました。
 『中核農家育成』の自民党案に対して、今まで比較的農村、農業の対応が弱いと言われていた民主党が『個別農家への所得保障』を打ち出し、先の参議院選挙を戦いました。
 その民主党案が、グローバル化と言う名のもとで強者により切り捨てられ、疲弊しつつあった多くの農村、農家の人達に歓迎され、先の参議院選挙の民主党の勝利の結果に繋がったとも言われています。
 見方を変えますと、中国やインドなどに代表されるように「豊かさが世界に拡散」して、国籍に関係なく努力が認められることをグローバル化とも言えますが、今回はグローバル化の問題ではありません。
 私は十年程前から、農業関係の新聞や本をあまり読まなくなりました。特に理由はないです。
 そのような私が知り得る農業関係の情報は、一般紙やインターネットからの情報が主です。私が知り得たそれらの限られた情報から考え、自民党案も、民主党案も農家にとっては『五十歩、百歩の案』、『帯に短し、たすきに長し』に思えてしまいます。
 当たり前のことですが「農業の前に農村があり」ます。その基本に戻り、疲弊した農村を守り、農業を守るには民主党案に少々の利はありそうです。
 今までの経験から、民主党案の『個別農家への所得保障』が行われれば「補助金を広く、薄くばらまき」、「飲み食いや農協救済に使われる農業補助金」と揶揄されるように、何ら農家、農業が前向きに変わるための変革の光を見いだせないで終わる可能性が大です。もしかすると、日本の農家、農業の葬式代になるかも知れません。
 「お上(農水省)から、下々にお金をばらまき選挙の票と交換して、お上の安泰を守る」このような農政は限界にきていると思います。
 農業は農村からは切り離せません。勿論、日本にも都市農業があります。都市農業も地域から切り離しては存続が難しく、農業は地域(農村)と共に生きる生業です。農業が生業である限り、地域環境を無視することが出来ません。
 この点からも、日本の農業は「地域から独立して存続し、利益を最優先する企業」には成りにくいと思います。農業は農村の気候風土の中で、それぞれの地域の人達を巻き込みながら文化、農家の生活を引きずり、次の世代につなげる生業です。
 生活と仕事を分けて考えるサラリーマンと、同じ物差しで「農業」を測る事には無理があります。
 「それなりの時代の要望も終わり、静かに眠りにつこうとする農村、これから頑張ろうと意気込む元気な農村」日本には色々な農村があります。
 地域により色々な農村があるように、色々な農業があります。それらを行政が上から補助金で纏めるには無理があるように思えます。