(22)ヨハネスブルグ

 15時40分、ヨハネスブルグ空港着。
 お上りさんは「飛行場から安全に出られない」と言われるほどで、世界で一番危険な都市ヨハネスブルグです。添乗員さんは私達が勝手な行動を起こさないようにピリピリしています。
 出国カウンターで待っていた現地のガイドさんに連れられ、私達は幼稚園児のように並んで空港のバス停まで向かいます。
 バスで約10分。今日の宿泊ホテル、ホリディ・インに到着。
 添乗員さんからルームキーを渡されると共に、きつく「安全のために、ホテルから外に出ないように」と言われます。
 荷物を部屋に入れて、夕食までにはまだ時間があり、ホテルのラウンジで若いイスラエル人のカップルと話をします。
 彼らは兵役が終わり、レンタカーを借りて自由にこの国をまわっているようです。
 私達の添乗員に「ヨハネスブルグは世界で一番危険な都市だから、自由にホテルから出るな」と言われたと話したら、彼らは笑って「この街に何しにきたんだ?」と、聞かれました。「確かに」と思いつつも、一人街に出かける勇気も若さもなく、その後も、ホテルで時間を過ごしました。
 翌日は貸し切りバスに乗り、車中からの市内観光をします。
 今日も「危険」と言われて、車から降りての観光は禁止されました。
 「フロントガラスのない車、民族衣装のチテンジを腰に巻いた女性、汚れた子供達、信号機も、高層階のビルもほとんどない首都リロングウェ。屈託のない笑顔」のマラウイとは違い、ヨハネスブルグは人口400万からのアフリカの中心都市です。
 街並みは大きなビルが建ち並び、行き交う多くの新しい車、洋風に綺麗に着飾った人達、『東京』との違いはないです。
 南アフリカは今は春、車中から眺めるヨハネスブルグ街並みはジャカランタの花が咲き、一番良い季節です。
 綺麗で華麗なヨハネスブルグ街並みに、昼間から路地や信号機の近くで座っている黒人が多く目立ち、車中から見えるその人達の暗い顔が印象的でした。
 今はまだ、この国は永い負の遺産からの転換期なのでしょうか?
 アパルトヘイトが終わり、彼らは幸せになったのでしょうか?
 アパルトヘイトが終わり、それでも幸せを掴めない多くの黒人達の怒りはどこに向かうのでしょうか?
 私達はヨハネスブルグで一度も下車する事が無いまま、車は次に首都のプレトリアに向かいました。
 プレトリアは標高1400mの高地に位置し、街中には緑と花々が溢れ、私の行った時は7万本を越えると言われるジャガランタの花がいっせいに咲いていて、街を紫に染めていました。
 首都のプレトリアは別名「ジャガランタ・シティー」と呼ばれるほどです。
 街自体は大きくはないですが、チャーチ・スクエアを中心に旧南アフリカ連邦議会議事堂、裁判所など歴史的建造物が沢山あります。それらを私達は車中から観光しました。
 プレトリアの郊外で昼食を食べて、その後ヨハネスブルグ空港へ。
 昨日から思うことは、ここの国の食事の1人前は日本の2人前ほどの量があり、デザートなどの味付けは非常に甘く、昨日の夕食もそうでしたが、今日の昼食も私達日本人の席は食べ残しが多いです。
 そしてこの国ではアパルトヘイトは終わっていますが、昨日のホテル、今日のこのレストランでは黒人のお客を見ることはありませんでした。
首都プレトリア

踊りを披露して、お金を稼いでいた親子(?)