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私は就農を希望して農村に住み始めて、かれこれ30年近くになります。
「新規就農者」とは言えないほどの時間が過ぎました。農村に住む多くの先達に「農村」に住むしきたりを教えられ、生業としての「農家」の技を教えられ(素直さがかけ、物覚えの悪い生徒でした)、部落(ムラ)に守られ子供達も元気に育ち、今日まで来ることが出来ました。農村の人達の優しさに感謝しています。
 私たち家族が住むこの部落(ムラ)に限らず、色々な農村で出会い、私に「農村」に住み続けることを教えてくれた明治、大正の百姓の多くの人が永久(とわ)の旅に出かけました。「あれも聞いておけば、これも習っておきたかった」そんな思いに襲われることの多いこの頃です。過ぎ去った時間は戻りません。
戦前に農作業を身体で覚えた百姓達は、江戸、明治、大正、昭和と長い間続いてきた「足を知り、生きることを生業とした百姓」の最後の世代だったように思います。戦後は農業に化学肥料、農薬、農業機械が本格的に入り込み、農村にも貨幣経済が浸透して、農家生活の知恵より街の小ぎれいな生活が尊ばれ、「都会に遅れるな」と農業の『儲け』が重んじられてきました。
 この農業の『儲け』により農家は多くの物質的な豊かさと、肉体的な苦痛から解放されましたが、里山、長く伝えられてきた部落(むら)の文化、生活技術、自然環境などの大切な物もなくしたようです。
 「農村で出会った人」は、農家が無くした物を考える時の大切な私の座標であり、記憶です。