農家にとっての農業とは?

 「農家は過保護だ」と長い間言われ続けています。先日の朝日新聞にも「日本の農業保護のために、輸入関税などで都市生活者は毎年2兆円もの余計な負担をしている」と記事がありました。その他にも毎年、莫大な農業補助金がばらまかれてます。これだけの手厚い補助金を使っても離農は止まらず、農地は荒廃して食料自給率は下がる一方です。この頃は食糧自給率は40%ほどまで低下して、「自主国家」としての永続的な独立に疑問が持たれつつあります。「国は農業を手厚く保護をする」でも「食糧自給率」は下がり続ける、不思議な現象です。
 国からは農水省独立行政法人、農業特殊法人。県は農林水産部、農業改良普及所、農業特殊法人。市町村にも農林課、農業特殊法人。そして全農を代表とする農協系の多くの組織、農業学者に農業評論家。多くの方々が日本の農業を論じて、農家に指示をして『農業』で食べています。
その『農業』で食べている人達を合計すると『農作物生産』で食べている中核的専業農家の数を上回る?と言う笑えない話もあります。
 このような人達から「金融、行政、営農、技術」と多方面にわたり手厚く保護をされている農家ですが、農家の減少に歯止めはかかりません。新卒の就農者は「金の卵を超えて、幻の朱鷺の卵」とまで言われます。大切に保護されている農家が減るのに、農業関係者はそれに比例して減りません。不思議で不条理な世界です。
 さて、農家にとって農業とは何なのでしょうか?
農業には産業と生活の二面があり、現代ではそのどちらか一方を切り捨てることは出来そうにありません。人類史の1万年以上にわたる長い間、農業は私たちが「生きること」そのものでした。人間の生業(なりわい)として農業と自然との関係の中から産まれたのが、それぞれの土地の文化だと思います。その地域文化が織りかさなり、今の国の形を作っていると言っても大げさではないと思います。
 産業革命後、都市生活者が増え 少数で効率よく食料生産を行うために、農業にも産業という面が強く求められ始めました。
 それ以降、農業は生業(なりわい)と産業を行ったり来たりしています。
 大型の農業機械や化学肥料、農薬に依存して農業の産業面を大きく推し進めますと環境への負荷が大きくなり、環境意識の高い都市生活者から批判されます。環境、永続性に配慮して生業(なりわい)に軸足を移しますと、経済界から「農家は非効率だ」と攻められます。
今後も日本の農家は、アメリカやオーストラリアの広大な農地は望めません。高温多湿で水田を中心とした急斜面の狭い農地を耕しながら、私たち農業者は「生業(なりわい)と産業的農業の間を揺れ動いていくのでしょうか?」