今日も休煙中

 図書館から古今亭志ん生の『御家安とその妹』の落語テープを借りてきました。市の図書館にも僅かですが落語のテープが有ります。その落語テープを借りて、私は卵の配達などの車の中で楽しんでいます。今回はその志ん生の落語の話ではなく、そのカセットが入っていた箱に写る志ん生についてです。
 志ん生の禿げた頭はライトの光を写し、左手の中指と人差し指に煙草を挟み、うっすらと目を閉じて煙草を美味しそうに吸っている写真です。
 「名人は煙草をくわえても絵になる」と暫くその写真に見とれ、志ん生の喫煙の写真の美しさに、休煙中の私は「ええい、コンチクシヨ」と言いたくなります。
 私は煙草を休んでからテレビや映画(テレビ映画ですが)での煙草のシーンには目ざとくなりました。戦争映画では、煙草をくわえた兵隊達の映像が頻繁に出てきます。そして煙草は戦争映画の必需品です。煙草をくわえた兵士の『眼』は、目の前の殺伐とした戦争の現実を写さず、煙草の煙を通して家族、友人、故郷に注がれていることが多いです。
 落語家、兵隊、農林漁業、肉体労働者、そして昔の作家。煙草が絵になる人達が少なくなりました。
時代はこのような人達を煙草と共に、過去に置き去ろうとしています。