1つの時代の終焉

春の陽気の誘われて里山を歩いています。ここ数年に比べて私の体調は少し良く、日々移り変わる春の里山の景色を眺め、「じんじばっぱ」(春蘭)の可憐な花を見て、スミレの花を踏まないようにゆっくり歩きます。
 たらの芽、コシアブラ、鷹の爪、蕨などが食卓を彩ります。春の山菜、白菜や野沢などの春のトウ立ち菜、どちらも「芽吹く力」なのでしょうか?苦みがあります。この苦みは私の身体の中から春を告げてくれます、「力強い春の味は」ほどほどに嗜むほどが長生きの秘訣のようです。
ここ数年、私の体調も思わしくなかったため里山には山菜を採るだけに入っていました。春蘭や周りの景色の移り変わりを眺める余裕もなく、「春の食料」仕入れのために里山に入っていました。久しぶりにゆっくりと里山を歩いて、その荒れ方に愕然としています。「確かこの山は**さんの山だった。そうだ、**さんも3年前に亡くなったんだ」「ここの山の爺さんはホームに入った、その山の爺さんもこの頃見ないな」そんな里山が増えています。身体で働くことを覚えた世代が静かに去り始めています。山菜にキノコ、そして多くの生き物たちの恵みの場であった里山が消えていきます。1つの時代の終焉のようです。