宮沢賢治

 若い頃、宮沢賢治と言うと「雨ニモマケズ」の詩を思い出し、東北人の勤勉さ、生真面目さ、そして「慾ハナク、決シテイカラズ、行ッテ看病シテヤリ、稲ノ束ヲ負ヒ」そして「雨ニモ、風ニモ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」と詩の中にぎゅうぎゅう詰めに「よい子」を押し込めてあり、そんな「よい子」の詩に何となく違和感を感じて、長い間宮沢賢治が好きになれませんでした。
特に賢治の作品を読んだわけでもなく「食わず嫌い」と言うのが正解です。
そんな私の想いが根本から変えられたのは今から十数年前、岩手県花巻市にある「宮沢賢治記念館」に行ってからです。
記念館で賢治の自筆の「雨ニモ負ケズ」の手帳を見て(賢治は手帳にこの詩を書いていました)、私は頭を殴られたようなショックを受けました。
私たちが教科書などで知っていた「雨ニモ負ケズ」の詩は賢治の詩の前半部分しか書かれていなかったのです。
詩の後半には「ナムアミダブツ、ナムアミボサツ、南無妙法蓮華経、、、、、」と無限に続くかと思える賢治の祈りの言葉が続いていました。
 「雨ニモ負ケズ」の詩が、賢治の求道的な信仰と苦悩から産まれ、賢治の農民への深い愛情と農業実践へ繋がって行ったようです。
秋、宮沢賢治を読んでみようかと思うこの頃です。