(3)Uさん

Uさんと出会ったのは私が就農地を探していた頃ですから、今から20年以上も前です。就農を希望して農村に移り住み数年が経ち、私たち家族の農村での生活も落ち着き「そろそろ農地を得て独立したい」と思いが募り、近隣の市町村の農業委員会を訪ね歩いて就農地を探していた頃です。ある町の農業委員会の紹介で山間にある農地を見に行ったとき、近くの畑で農作業をしていたUさんと出会いました。その時の年齢は70歳代の後半でしたから、もし今でもご健在なら100歳近いのではと思います。
 私は「こんにちは」から始まり、就農地を探しに近くまで来たこと等を話、Uさんからは部落(ムラ)のことや農業についてお話を聞いた半日でした。
 Uさんは明治生まれの百姓小作の倅で、戦後は水田に畑を合わせて3反歩ほどの土地を耕し、近くの農家の手間仕事、庭木の手入れ、簡単な大工仕事などで現金を得て生活してきたようです。
 私の就農希望の話は、Uさんからは理解も賛意も得ることもなく、「農業を甘く見るな」などの反対の意見を言われることもなく、ただひたすら興味なさそうに「そうけー」の一言でした。
 その後、農村生活やその思い出に話が及び、私が「農業で食べていけますかねー」などと、今思い返すとちょっと恥ずかしくなるようなことを訪ねましたら「食えるかって、何とかなるっぺ百姓だべ。刺身だって、芋だって咽下三寸過ぎれば、味は同じだっぺ。百姓は御天道様の下で働けば、贅沢言わんけきゃ食えるぺ」当たり前のことを聞くなとばかりに言われました。
 就農地が見つからず、農業に対して疑問と不安が多かった時、私の頭にかかっていた雲を振り払ってくれるような話でした。