ムラの農地は誰が耕す

近年の日本は温暖化のため、熱帯地方を思わせる高温多湿の夏が当たり前になってきました。「高温で多湿」草は呆れかえるほど良くのびます。
 「草と戦って勝つた百姓はいない」と思いつつも、伸びる草をそのまま放っておけません。夏の農村の早朝は「ブーン、ブーン」と草刈機の音で始まります。
 80歳を過ぎて草刈機を振り回し、水田の急な斜面の畦草を刈る元気な「おじいちゃん、おばあちゃん」もいますが、この頃はめっきり少なくなってきました。
日本の戦後の農業を担ってきた大正、昭和一桁生まれの方々が静かに農地、農業から去っていきます。「損、得」等と農業を経済的合理性でとらえず、農業を生業、生活としてムラで生き抜いてきた百姓の最後世代が消えていきます。私達の心の中にあるムラの共同性、助け合い、祭り、里山などの景色が過去の記憶になっていきます。
 ムラの農村、農業を担ってきた世代がいなくなり、さて今後は、ムラの農地は誰が耕すのでしょうか?
日本の水田は水路の共有制もあり、水田が荒れ始めますと一気に耕作放棄地が増えてしまいます。このムラの谷津田はほぼ壊滅してしまいました。作業の一部を農協に委託しながらも維持してきたムラの中心に近い「良田」も、跡継ぎがいない、経済的に合わない、草刈りが面倒だなどから、ぽつぽつ荒れ始めています。
 それでもまだ水田は畑に比べて荒れ方は少ないです。畑は各農家の自給用の一部の畑以外はほぼ壊滅状態です。「田畑を荒らすことは百姓の恥」と教育された家では、週末などの仕事の合間を見つけて息子さんや娘さんが(と言っても私と同世代で、そろそろ定年退職を迎える世代です)トラクターで畑を耕し、畦の草を刈り、畑をきれいに維持しています。
 そこまでできない家では、年に1−2回畑の草刈りをして何とかムラの人達に迷惑がかからないようにしています。「1円にもならんべ、あほくさ」と草も刈らずに、畑を草ぼうぼうにする農家も増えてきました。
 このように荒れ始めたムラの田畑を美しく維持していくために期待されているのは私達世代の「定年帰農」です。「定年帰農」と言っても街から新しい人に来て貰うでなく、ムラに住んでいて勤めに出ていた私達の同世代が、親父世代の農業からのリタイヤと共に農業、農地を受け継ぎ次の世代に繋ぐことを期待されています。
 私達と同世代の多くは、農家の息子とは言え勤め人でした。親父世代のように朝星、夜星まで野良で働く体力はありません。農機具と農協の協力で自分の家の最低限の農地を維持するのがやっとです。
 「人の農地を借りて、規模拡大して農業で一旗揚げよう」などという奇特な方もいません。跡取り息子が街に出ている家は悲惨です。老農夫婦が農地に出られなくなったら、おしまいです。あとは農地が荒れるに任せるしか有りません。跡取り息子がいると言ってもすべての農家がうまく行くわけではありません。うまく行かない家の方が多いかも知れません。
 年老いた親父にヤイヤイ言われて「しかたねえべ、新しい農機具を親父から買つて貰い百姓仕事でもやんべ」と始めた跡取り息子も、勤めの時に百姓仕事を手伝ってこなかった息子の多くは投げ出すのも早いです。百姓の血が流れていても「百姓仕事を身体で覚えてこなかった」跡取り息子のメッキの剥がれるのは思いの外早い物です。
現代の百姓の「百姓の血、先祖伝来の農地」等という強がりも、福沢諭吉の前では青菜に塩です。『経済』が大手を振ってムラの中を歩く今、私達のムラの農地は誰が耕し、維持するのでしょうか。